暇な理系大学生が暇なときに書く暇な日記

暇な理系学生が自分の趣味の範囲で語ります。

2012年問題

共通の外敵に対して国民が一つになる、政治家たちは人間のこの習性を巧みに利用してきた。

特に選挙が近くなれば顕著になる。与党は政権を守るべく、強硬な対外政策を国民へアピールすると同時に敵対する外国に対して敵意を湧かせ、それによってさらに政権への支持が厚くなるという相乗効果が期待されるからだ。

選挙が近くなった国は対外活動が強硬になるというのは歴史からも見て取れる。もし近隣国同士が同時期に選挙を迎えれば、双方が攻撃的となり、その地域一帯の情勢は極めて不安定となるであろう。

それが、この東アジア一帯で起きた。一番下の表をご覧いただきたい。(出典、2012年問題-wikipedia)各国の選挙日と指導者の推移である。

あろうことか、中国、ロシア、北朝鮮、日本、アメリカ、そして韓国、これら東アジアの国々の選挙、もしくはそれに準ずるものが、一時期に集中していたのだ。2012年のことである。

そして,各国ともにこの2012年の選挙に向けて対外活動を強硬にしたことにより(日本を除く)、東アジア情勢は大きく揺れた。

2012年に東アジア諸国の選挙が集中していたために情勢が不安定化したこの現象を「2012年問題」と呼ぶ。これこそが、今日の不安定化した情勢の発端を説明できる概念であり、もっと報道などで取り上げられて良い概念だと思うが、僕の記憶では池上彰くらいしかこれを紹介していない。(しかもちょびっとだけ)

繰り返すが、この2012年問題が今日の東アジア情勢不安定化を招いた直接的原因であり、また、それを理解するのに大変重要な概念であると思っている。

例えば、北方領土竹島、そして尖閣諸島での領有権争いは、2012年問題によって再勃発した。ロシア、中国、韓国が選挙前の対外活動の一環として領有権のアピールをしたためである。尖閣諸島問題と竹島問題が深刻さを極め、現在まで響いていることはご存知だろう。

そして、中国と韓国では未曾有の反日活動が展開され、両国政権ともこれを巧みに利用した。活動内容が領有問題から歴史問題へ拡大し、日章旗は連日燃やされ、日系企業がデモ隊によって大損害を受けたのが連日報道されていたのは記憶に新しい。

こうして、日中・日韓関係は歴史、領土問題を巡って暗黒の時代を迎えたのである。悲しきことに、それは政府間だけではなく、両国民の感情的対立も生んだ。

 

このように、特に日中日韓関係の悪化の始まりはこの概念によって説明することができるのである。元々溜まっていた歪が、2012年問題をきっかけに噴出したのだ。

ここまでは、諸外国の活動である。

 

さて、みなさんは当時の日本の外交を覚えていらっしゃるだろうか。

この、2012年問題から始まるナショナリズム時代における日本の民主党政権の対応はどのようだったか。

安倍政権も、安保関連法も、全てはそれが無ければ始まってすらなかったのだから。

 

それを次回考察したい。

2012年01月14日 中華民国総統選挙 馬英九 馬英九 (再選)
2012年03月4日 ロシア大統領選挙 メドヴェージェフ プーチン
2012年04月15日 北朝鮮の初代国家主席金日成生誕 100周年    
2012年04月22日・5月6日 フランス大統領選挙 サルコジ オランド
2012年09月21日 00/日本の民主党代表選挙 野田佳彦 野田佳彦 (再選)
2012年09月26日(2012年9月26日) 01/(日本の自由民主党総裁選挙 谷垣禎一 安倍晋三
2012年11月6日 アメリカ大統領選挙 オバマ オバマ (再選)
2012年11月8日 - 14日 中/中国共産党第18回全国代表大会 胡錦濤 習近平
2012年12月16日 02/日本衆議院総選挙 野田佳彦 安倍晋三
2012年12月19日 韓国大統領選挙 李明博 朴槿恵